2014年11月27日木曜日

スモールビジネスは、なぜ、成功しないのか?(66) まとめ(4)「会社の成長戦略とは何か」

スモールビジネスは、
なぜ、成功しないのか?(66)
まとめ(4)「会社の成長戦略とは何か」
 
 
 
 
 おはようございます。さて、今回は、会社の成長戦略とは何かについて見ていきます。

よく、「ランチェスター●●」とネーミングされた経営やマーケティングなどに関連付けたものがありますが、そこでは、「中小企業は弱者だから強者の大手企業とは戦わずに、大手企業が手を出せない市場の特定分野(ニッチ市場)に集中した経営戦略を取ることが、中小企業が唯一の生き残る道である。」と言われています。

一見、正しく見えますが、本当にランチェスターの法則と言われる戦争での戦闘モデルが経営やマーケティングと同じ数理モデルで成り立つか? と思えば、考えるまでもありませんね。

まず、経営戦略は、中小企業であろうが大手企業であろうが、同じです。事業規模には、何ら関係がありません。市場の成長性、現在の自社の市場でのポジションと将来像に合わせて経営戦略を決めるだけです。

そもそも、全ての大手企業は、最初はスモールビジネスから始めて大手企業になったのですから、中小企業は、ニッチ市場に集中した経営戦略を取ることが、中小企業が、唯一、生き残る道であると言うこと自体、ナンセンスな話です。

ランチェスター経営なるものが、どんな数理モデルや統計資料から納得できる再現性のあるビジネスモデルを根拠にして言っているのか、全く持って信憑性がなく、なぜ、そんなバカげたことを言っているのか呆れるだけです。

また、ランチェスター経営の推奨者は、特に地方産業で頑張っている会社に地域ナンバーワンになることをやたら力説しますが、自社が参加している市場が衰退期になっていて競合他社が撤退している時に、「猛烈に頑張って地域ナンバーワンになって、倒産しました!」とでも言わせたいのか? 無責任な言動はやめてほしい。

たとえば、セイコーエプソン株式会社なら、長野県の諏訪市で服部時計店から始め、その後、有限会社大和工業を設立して腕時計の部品製造や組み立てをするようになり、その後、株式会社諏訪精工舎となり、腕時計の一貫生産体制を確立しました。

そして、子会社として信州精器株式会社(後のエプソン株式会社)を設立し、1985年に諏訪精工舎と子会社のエプソン株式会社が合併して、現在のセイコーエプソン株式会社となりました。

会社は、こういった市場の変化にそって成長して行くのですが、これを服部時計店は、服部時計店として、長野県諏訪市でナンバーワンになることが、市場で唯一生き残る道だと言ってしまうと、現在のセイコーエプソン株式会社は存在しませんし、服部時計店も市場の変化にそって、市場のセグメントの移動と合併を繰り返すことで、現在のセイコーエプソン株式会社として生き残れたのです。

ですから、中小企業が生き残る道は、地域ナンバーワンになることが生き残る道ではなく、どのような事業規模であっても、会社は、市場の変化にそって、自社の強みを活かせる市場セグメントの移動と合併を繰り返すことで生き残って成長することが出来るのです。

ところで、生き残っていても、「もう、30年も零細企業をしていて、自転車操業が厳しくなるばかりで、どうにかならないものでしょうか?」と、おっしゃる方がよくいます。

30年も継続して商売をしていれば、何らかの強み(売れる理由)があるはずですから、1つは、自社が参加している市場セグメントの成長性を確認して、競合他社に競争で負けているのか? それとも市場のニーズが衰退しているのかをはっきりさせて、方針を決める必要があります。

そして、もう一つは、会社の将来像はあるのか? あるのなら、どんな将来像なのか? 将来像に向けて、毎日、どんなことをしているのか? を確認して、実行する必要があります。

以下は、以前、紹介しましたが、会社を成長させるには、どんなことをすればよいのかがよく分かりますので、参考にしてください。


出典:「はじめの一歩を踏み出そう」マイケル・E・ガーバー著

IBMの創業者であるトム・ワトソンは、IBMを成功させた理由について聞かれた時、次のように答えたと言われている。

「IBMが今日の姿に成長したのには、三つの特別な理由があります。
最初の理由は、事業を立ち上げて間もないころから、はっきりと会社の将来像を描いていたことです。

言い換えれば、私の夢やビジョンが実現した時に、会社がどんな姿になっているのかを想像する能力を持っていたということでしょう。

二番目の理由は、会社の将来像を決めた後に、そのような会社なら、どんな行動をするべきだろうか? と、自分に問いかけ、これを繰り返すことで、私は成長を遂げた後のIBMがどのような企業活動をしているのかについて、明確なイメージを創り上げていきました。

三番目の理由は、私がIBMを立ち上げて間もないころから、優良企業の経営者と同じくらいの厳しい基準をもって経営しようと心掛けたことです。

なぜなら、平凡な企業が突然、優良企業になることはできませんので、優良企業になるためには、会社を立ち上げた時から、毎日、優良企業のようなしっかりとした経営をしなければならないのです。

IBMでは、創業当初から、このような青写真がありました。そして、毎日、将来像に近づけるように、仕事が終わった時に、その作業がどれくらい進んでいたのかを確認していました。

そして、現在の姿と現在あるべき姿にギャップがある場合は、そのギャップを埋めるのが、翌日の課題となったのです。

ですから、今、思えば、私はIBMで商売をしていたのではありません。事業を成長させることに精力を注いでいたのです。

IBMでは、事業を経営していたのではなく、事業を創造していたのです。」
 
 
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